岐阜成功塾への想い

【私の想いを伝えさせてください!】

今日は、僕の自己紹介も交えながら、岐阜成功塾(経営者の勉強会)を立ち上げた想いについて書かせていただきます。

僕は、昨年の6月に税理士として起業させていただきました。実は、経営者となるのは2回目のチャレンジです。

さかのぼること約15年、僕は父親の経営する陶器製造の会社を継ごうと決心し、大学卒業後に就職したコンビニ本部の会社を退職しました。

理由は、その家業を継いでくれていた弟が、製品の配達中の事故で他界したからです。

「俺、大学いっとらんし、家の仕事は自分が継ぐから、兄ちゃんは自分の好きなことやりなよ。」

そう弟が言ってくれたおかげで、僕は長男であるにも関わらず自分の好きなように就職することができました。

それから数年、結婚をして初めて迎える僕の26歳の誕生日の3日後に弟は亡くなりました。

「誕生日おめでとう。いよいよ三十路へのカウントダウンがはじまったね 笑」

このメールが、弟との最後の会話でした。

今、思い返してみると、交通事故という運命は本来、家業を継ぐべき自分が背負うべき運命だったのに弟に負わせてしまったという罪悪感が大きく、僕は当時勤めていた、コンビニ本部の会社を退職し弟の代わりに家業を継ぐことを決意しました。コンビニ本部の会社で、たくさんのオーナー様に経営のアドバイスなどをさせていただいていたことから、経営については自信があったことも背中を後押ししたのかもしれません。

【経営者としての挫折】

しかし、父母との陶器を作る仕事は、今から考えれば当たり前ですが簡単なものではありませんでした。陶器と言っても1個約5円の製品を地道に仕上げていく仕事です。コンビニのシステム化された仕事しか経験したことの無い僕にとって、その全てが時代遅れに見えました。

もっとコンピューター化できないのか?、新しい販路はないのか?、価格交渉をもっとしなければいけないのでは?、新商品を開発して売り込まないといけないのでは?。。。

これらのことを父親に提案するも却下され、取引先も突然入ってきて口を挟んでくるバカ息子?には聞く耳を持ってくれませんでした(当たり前ですよね、、、)。

自分に対しては「職人的な仕事だから覚えるのに何年もかかかるし、父母の近くにいてあげることが自分の務めでもあるから・・・」などと無理矢理納得させる日々でした。

ところが、1年ほど経った頃、2つあった大きな取引先の一つが廃業するとの知らせがあり、このままだと売上が半分になってしまう事態となりました。その状況で、信念のある経営者なら、なりふり構わず打開策を考えるのだと思いますが、僕にはその自信も覚悟も無く、父母とも話し合った末に、僕は税理士を目指すことにしました。一度目の経営者としての経験は完全KOされて終わりました。

このとき、税理士という仕事を選んだのは、3つ理由があります。

① 父の会社にも関与税理士がいましたが、売上が半分になるほどの事態でも父にとって、その税理士さんは相談する相手ではなく、一人で悩んでいました。そんなとき、身近な相談相手になれる税理士になりたい。

② コンビニ本部でしていたSVという仕事はとてもやりがいはあるのですが、本部側の都合で担当が頻繁に変わり、一人のオーナーさんに責任を持ってサポートするということができず、どうしても「担当期間だけ業績がよければいい」という発想になってしまうことがありました。でも税理士であれば一生おつき合いすることができるのではないか。

③ 理系の大学⇒コンビニSV⇒経営者を経験してきて、「数字が大好き」だということに気づいたのです。思えば僕は、小学1年生のときの記念文集にも数字の絵を書いていた不思議少年でした(写真参照)
数字

【2度目の経営者としての出発と柳生雄寛先生との出会い】

約10年間の税理士事務所勤務を経て税理士資格を取得し、再び経営者となるべく、独立開業を決意しました。

決意といっても、理由としては、結婚して3ヶ月後に自分の実家に引き込んでしまい、かつ、名古屋の税理士事務所に通っていたため、ほとんど子育をできていなかったことによる妻への罪悪感が大きかったのかもしれません。

僕は、開業を決め、勤務していた会社にも伝えた後、とても不安になりました。
1度挫折している経営者になることへの不安、本当に今でいいのか、罪悪感から成り行きで開業してしまおうとしているのではないかという不安です・・・

大手税理士事務所での経験により、税務に関する知識の自信はありましたが、一度挫折している経営についてはとても不安でした。

そんな中、東京でセミナーの体験会をしていた柳生雄寛先生に出会いました。今から約1年半前のことです。

柳生先生から教わった「経営者の仕事とは・・・」この言葉の奥底にある考え方を知ったとき、体に電気が走りました。

・僕が陶器を作っていた頃、様々なアイデアが浮かびながら、なぜ何も実践できなかったのか。

・コンビニ本部時代に、結果を出すオーナーとそうでないオーナーの違いはなんだったのか。

・自分が罪悪感をもっている「過去」の事実は変えられないが、今の行動によってその「解釈」を変えられること。

これらの教えは、その時の自分を刺激し、たくさんの気付きを与えてくれました。

柳生先生は、日本を元気にするためには、日本の中小企業を支援する立場である税理士などのコンサルタントが元気にならなければならないという考えのもと、僕らコンサルタントに経営の根本となる考え方をわかりやすく教えて下さいました。

開業した最初の月、売上が2万円だったのが、この1年で事業として形になってきたのも柳生先生の教えがあったからです。

そして、柳生先生から経営のノウハウ以外にもう一つ学んだことがあります。

それは、「人生は誰と出会うかで決まる」ということです。

・やりたいことをしているはずなのに、取引先に余計な気を遣わなければならない

・すごく好きな仕事なのに上司と全く合わない、、、

そんな経験がある方はわかると思いますが、仕事に関しては、どんな仕事をするかというよりも誰とするかの方が重要だったりします。

そして、よい出会いを得るためには、自分自身の価値観を明確にし、しっかり言葉にしておくこと。それが柳生先生から学んだもう一つの大切なことであり、そのおかげで佐久間憲彦さん、木下貴子さん初め、たくさんの出会いがあり、こうして岐阜成功塾を立ち上げることができました。

【自分のことを語るのは苦手でした】

僕は、かっこよく言えば「信頼は口ではなく行動で作り上げるものだ」と思っていました。単に、自分のことを話すのが苦手だったとも言えます。

しかし、今の時代は情報が氾濫している時代で、周りが理解してくれるのを待っていたのでは、自分という人間を選んではもらえません(知ってもらえる機会すらないかもしれないというのが真実かもしれません)。価値観の共鳴した仲間とともに大好きな仕事をするためには、自分の価値観のことも語らなければなりません。

相手も、「僕が誰なのか、どんなことを考えているのか』を知らないと信頼できません。
それを教えてくれたのが柳生先生でした。

今日書いてきた話も、本当に限られた人にしか話していませんでした。自分が経営者として失敗したことやなぜ税理士になったのかなどは、仕事とは関係ないと思っていたからです。

しかし、このような話をすることで、僕のように成り行きや罪悪感で人生の選択をしてしまった人や、経営者である親に対して想いを伝えられなくて困っている人が少しでも楽になれるかもしれません。

柳生先生から、自分の「考え方・生き方」を伝えることで得られる「価値観の共鳴する仲間」のすばらしさを教えてもらい、ここでお伝えすることができました。
柳生先生、ありがとうございます‼

【こんな僕が、岐阜成功塾を立ち上げた理由】

① 柳生先生の価値観と経営の考え方を「自分の言葉」で伝えて地元を元気にするため

② 価値観の共鳴する仲間を見つけるため

③ その仲間とともに、自分自身をもっともっと成長させるため

この3つの目的を達成するため、岐阜成功塾を7月から開催します。ビビッと来た方の参加をお待ちしております。

お問い合わせはコチラ

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!!


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